永山愛樹さんとの対話(3日連続企画・初日)




「どうせステイホームなら!」と企画した、GWの3夜連続トーク。初日ゲストのTurtle Island / ALKDO / 橋の下世界音楽祭の永山愛樹さんとは、2015年以来のお付き合い。


ご本人も不明の理由で、バックに銀河を背負ってのリモート対話は、自然とスケールが大きく、しかし同時に超ミニマルにもなった。


 永山さんには、いつも突飛なお願いをしてきて、今回のクラファンへのリターン参加もその一つ。曰く、「全然気にしないで。地震は突然くるし、風向きだっていきなり変わる。世の中、物事が起きる時はそういうものだと思っている。そもそも、自分自身がそうやって生きてきた」。


 今回自分に課せられた宿題は、ごく少数の人にしか理解できない放射能測定を、カルチャーと接続すること。そうして、社会における理解の幅を拡張させること。永山さんの一言は、ともすれば「ただの迷惑な無茶振り」になりかねない、そんな懸念を払拭してくれた。


 道なき道を切り拓いてきた永山さんの軌跡は、愛知県豊田市で開催される橋の下世界音楽祭(以下、橋の下)を体験した人間には説明不要。それは無料で開催される唯一無二の祝祭であるから、近所の家族連れとヤクザやジャンキー、自らの親族はもちろん、子どもの学校の担任までもが一同に会すカオス。「『多様性』とかよく言うけど、来てる人の振り幅の広さは他にない自負がある」との言葉通り、橋の下で感じることを言葉にすると、それは具現化した奇跡だ。


 もとい「奇跡」みたいな言葉は、「生活と地続き」である必要性を繰り返す永山さんと合致しない。「人間本来の生活の集合体」くらいが、的確な表現だろうか。



 橋の下は、3.11を受けて「何をすべきか」ということを考え抜いた先にある表現のかたち。それが遠い福島で起きた強大な災害であるからこそ、自分の地域だからできることをやるのが大事だった。


「その手法をとった人たちに誤解されたくないけど、3.11後、東京などで始まった原発反対デモなどを自分たちが、地方でそのままの形で受け売りでやるようなことは『嘘くさいな』と思った。

 我々には我々の立場とやり方があるなと思った」。


 永山さんは、突き詰めれば「特に『社会を変えよう』とも思ってない」と言う。目の前にあるできることをとにかくやっていく姿勢で、一つ結果として言えることがあるとすれば、もちろん時代の流れも相まってだけど、街が変わったってのは大袈裟だが、ご自身と自身の周りは変わっていっている。


 もともと意識の高い人がどうとかではない。地元のヤンキーの先輩に投げ銭の意味や、何でこんな金にもならないしんどい祭をやるのかとかの意味を本気で話したりしたら、聞いているうちにボロボロ泣き出してくれて、感動して「お前の言ってること全然わからなかったけど、わかった」と言い出す。


 または、近所のチンピラが初期の橋の下に来て、まず出店をじっくりまわって「オーガニックってなんだ?」「投げ銭てなんだ?」「わかりにくい」とはじまり、それだって毎年継続する中で、「こういうことか」と理解を深めていく。




 橋の下は2019年はお休みし、2020年はコロナ禍で中止、10年目となる今年もすべてが流動的。そんな中、永山さんが率いる10人編成の”ヤオヨロズンドコ・サウンド” Turtle Islandは初のベストアルバムを出すし、

https://microaction-store.com/


橋の下とは別に「野良人(のらど)」による、「NOLAD 2021 遊睦民祭」開催も6月に控える。

https://nolad.jp/


 何より、コロナ禍、ずっと公言もしてきた、農業をはじめる機会に恵まれ、永山さんはそのことで「確実に生存能力が増した」と語る。本トークにも日中落花生、いちご、さつま芋、大豆をつくる橋ノ下農園の作業後に参加くださり、最中に寝る(!)永山さんに志ん生師匠が重なった。


 お疲れの中の素敵な言葉の数々に、心からお礼を申し上げたい。


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トーク中、永山さんから大切なことについて質問をもらったので、答えをここに記しておく。


Q:The 10th FUKUSHIMAはわかるとして、「Nippon AWAKES」とは、どんなもの?


A:今回のクラファン発足の経緯は、ここにまとめがある。http://riddimonline.com/archives/18292

https://freak.daytonajp.com/2021/03/19/nippon_awak...

 NYの兄弟分、ホセ・パルラから、トランプ政権やBLMに揺れるアメリカをアートで何とか修正しようという自律分散型のムーヴメント「WIDE AWAKES」に誘われたことが発端。それを日本で受け継ぐにあたり「Nippon AWAKES」と名付けた。つまり、「日本の目覚め」。



Q:全国にある測定室がコロナ禍で窮地というのは、どういうこと?


A:それまでも測定室は非営利な活動であり、原発事故後に、国の発表がおぼつかない中、自分たちで「どのくらい放射能があるか」を確かめるために、止むに止まれず始まった。私財を投じたりみんなでお金を出し合ったり、助成金をいただいたりして高価(数百万円)な測定器を購入し、他方、測定依頼を受ける際の料金は極力手頃にすることで、誰でも「放射能」の値を知ることができるようになっていった。 


 測定員はボランティアとしても、測定室の家賃や光熱費などどうしてもかかる費用は、市民からの測定料だけでは賄えず、寄付、民間からの助成金、そしてイベントやマルシェなどでの物販などでなんとか捻出していた。


 事故から年月が経ち、測定依頼は減少し、民間からの助成金も東日本大震災や原発事故関連のものはほぼ打ち切り。そこへ新型コロナ。最後の頼みの綱だったイベント等が行えなくなってしまったことで、カンパや物販という微々たる収入源が断たれてしまった。測定室を知っていただく機会も失っている。みんなのデータサイトで自費出版した『図説・17都県放射能測定マップ+読み解き集 増補版』も販売の機会を失っており活動資金が厳しい。


Q:事故の後は、国からも助成金というのをもらえたりしていたケースもあった?


A:国からの市民測定に対しての支援は一切ない。(測定室独自で、個別プロジェクトとして公の助成金に応募して採択されたケースがごくわずかにある程度)民間の支援団体、個人からの寄付に頼っているのが実情。


The 10th FUKUSHIMA, Nippon AWAKES発起人 平井有太

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